3月、教え子から電話がかかってきた。大学の同級生が新宿で写真展をやるから見に来てほしいという。待ち合わせて見に行った。小さな写真展だった。中は若い人であふれていた。入り口で入場料200円を払った。

写真展を開催したのはJICAの海外青年協力隊員9人だ。9人は2006年10月から2008年9月までアフリカ、ブルキナファソに派遣され現地で援助活動を続けて来た。

代表のS.Yさんは上智大学卒業後就職、その会社を一時休職して協力隊員となった。教え子の同級生の飯野ユカさんは東海大学を卒業後看護師の資格をとり隊員となった。この活動期間9人の隊員がそれぞれ現地の人々の生活を撮影してきた。その数25000点に及ぶ。今回はその内の150枚を展示した。風景があった、井戸があった。寺子屋式学校が会った象がいた。現地の生の生活を自分の身の丈でレンズに納めてきた。

舞台となったブルキナファソはニジェールの西ガーナの北に位置する西アフリカの内陸国、サハラ砂漠の南西にあたる。面積は日本の70%の274200平方キロ。人口1435万人(2006年)約半数がモシ族そのほかにプル族、グルマンチェ族など約60の種族が住む。主な産業は農業、牧畜、主な生産物は綿花、ヒエ、アワ、トウモロコシ。
この写真展を見て気がついたことがある。写真に写っている現地の人はみな明るい。屈託のない表情をしていることだ。ソマリア難民などの悲惨さを想像していた私には意外だった。

飯野さんは言う。「ブルキナファソは人間開発指数で下から2番目。まさに最貧困国。しかしテレビで紹介されているような悲惨さは余りなかった。これは2年という期限付きで生活して来た外国人だからいえることかもしれない。私は何が幸せで何が悲惨さなのかを考えた。環境は過酷だけど笑顔を絶やさない逞しい人が多い国だった」と。写真展を見てその通りだと思う。

9人の隊員は帰国後現地のためにお礼がしたいと考えた。写真展を通じて村を紹介しようと思った。と同時に診療所に通う自転車がたりない。村共有の自転車を購入して贈ることとした。入り口で払った200円はその資金にするためだ。

野球の世界選手権WBCは侍ジャパンが優勝し日本中が興奮した。これはアフリカで活躍するもう一つの侍ジャパンだ。彼らも別の意味で日本の誇りである。政治不信、経済不況でいたたまれない気持ちだったがこうした若い人たちの活躍にほっとした。日本もまんざら捨てたものでもないと思った。

        (田中信義記す2009年4月1日)
         留学協会顧問、RCACLUB会員

写真展より
飯野さんとブルキナファソ

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